災害で「周年」は不適切? 新聞校閲部の見解への疑問

2014年3月13日

▼毎日新聞校閲部が「周年」という言葉を震災など災害に使うのは「不適切」との見解をニュースサイトなどに掲載。しかし、その根拠は必ずしも明確でなく、メディアの自己規制の危うさが浮き彫りになった。(楊井 人文)

あの東日本大震災から丸3年が経った。この区切りの日に、どれだけ多くの国民があの日を想い起こし、語ったことだろう。これからも、私たちはあの日を節目の年に心に刻み、語り続けることになるのであろう。

さて、その区切りの日の前に、気になる記事をひとつ見つけた。毎日新聞校閲部がニュースサイトに掲載している「再思三省」というコラムの、「不適切な『周年』」という記事である。「東日本大震災三周年→東日本大震災三年」と小見出しもつけられている。

非常に短い文章なので、全文紹介しよう(なお、紙面には載っていない、電子版独自の記事である)。

【再思三省】第12回 不適切な「周年」 (毎日新聞 2014/3/10)

◇不適切な「周年」
 東日本大震災3周年→東日本大震災3年
「周年」という言葉は「結婚10周年」「創立100周年」などめでたいことに使われることが多い言葉です。震災など災害に使うのは不適切です。また「東日本大震災から3年目」もしばしば問題になる数え方。2011年3月11日から数えますから今年の3月11日で「4年目」を迎えます。その日以降「3年目」は避けてください。

災害や不幸でも使われている事例

「震災など災害に使うのは不適切です」という断定に、私は、おや、と思った。少し調べれば分かることだが、災害のみならず人の不幸などのめでたくない出来事についても、節目の年にふりかえる際に「周年」という表現は少なからず使われている。これらは「不適切」な言葉づかいなのだろうか。

政府が2014年3月11日に開いた公式行事の名称も「東日本大震災三周年追悼式」。その式典で、天皇陛下も冒頭「本日、東日本大震災から3周年を迎え、ここに一同と共に、・・・」と述べておられる。

東日本大震災3周年追悼式平成26年3月11日(火)(国立劇場) (宮内庁)

宮内庁ホームページより

宮内庁ホームページより

災害のみならず、「没●周年」というような表現もしばしば使われる。たとえば、最近ある出版社が、著名な哲学者だった加藤周一氏の「没5周年のつどい」を開いている。ちなみに、漢語の母国である中国では、不幸な出来事でも「周年」は普通に使われているようだ。たとえば、「周恩来逝去38周年」(2014年1月8日)というふうに。

国立国語研究所に問い合わせてみたら・・・

しかし、「言葉の番人」であるはずの大手新聞社校閲部が「不適切」と言っているのだから、ドキッとする。やはり災害などに使うのは本来の用語法ではないのではないか―そう不安になって、国立国語研究所に問い合わせてみた。同研究所はかつて文化庁附属機関だったが、現在は大学共同利用機関法人となり、国語政策に直接に関与しているわけではない。言語に関する専門研究機関で、「ことば」に関する質問に答えるサービスも行っている。そのサービスを利用し、山田貞雄専門職員から「周年」の一般的な使い方について回答を得た(以下の回答は、組織の研究成果に基づくものではないとのこと)。

山田氏は、「周年」という言葉は一般的に、節目の年に過去の出来事を思いめぐらすときに使われ、単に「丸●年が経過した」ことを意味するニュートラルな表現だと説明。めでたいことであれ、そうでない出来事であれ、使うことは可能だし、災害や不幸に使っても「用語法として誤っているとか、不適切ということはない」という。

また、山田氏は「周年」を使う効用も指摘した。「●年目」という表現だと、東日本大震災の場合は「4年目」という表現になってしまう。単に「3年」という言い方も可能だが、「周年」という漢語表現の方が抽象度が高く、式典のようなかしこまった場面にもふさわしいと感じられることがあるだろうとのことだった。

めでたいことに使うべきであって、そうでないときには不適切だとの指摘があることについて、山田氏は次のような見方を示した。人は何かが長続きすることをめでたいことと思う感情があり、それを祝う習慣が多い。だから、何かが長続きすることを祝う際に「周年」が使われることが自然と多くなるのだろう。そのため、不幸な場面で使われることに違和感や不快感がある人もいるのではないか。―

毎日新聞社の回答

毎日新聞社にも見解を聞いてみた(以下は、同社社長室委員広報担当からの回答)。

まず、「めでたいことに使われることが多い」との根拠について、同社は「辞書の用例はほとんど『開業三周年』『五〇周年記念事業』など、めでたいことから取っています」と指摘。ほかに、明鏡大辞典(大修館、第2版)が「多く、慶事の記念に言う」との解説を載せていることや、インターネットの「青空文庫」で「周年」を検索しても悪いことに使う例はほとんどないことを根拠として示した。

だが、辞書の大半は代表的用例として「開業●周年」「創業●周年」といった類の例を1つだけ載せていて参考にならない。「五〇周年記念事業」という例も、めでたいことに使われると限らず、現に「東日本・淡路大震災10周年記念事業」という使われ方もある。「多く、慶事の記念に言う」といった解説も調べた限り、明鏡大辞典以外の辞書にはなかった。むしろ同じ明鏡大辞典には「震災一〇周年を迎える」という用例を載せており、そうした用例を間違いだとか不適切だとまでは考えていないことは明らかだ。

もっとも、毎日新聞社は、校閲部が示した「災害に使うのは不適切」との見解は「日本語として間違い」という趣旨ではないという。大部分が慶事に使うのであれば、「震災3周年」という表現に違和感を覚える読者がいるのではないかと判断したもので、「用語の正確性」ではなく、「あくまでも毎日新聞としての語感上の配慮」だと説明。したがって、「政府の決めた式典名に関して『不適切』という見解を述べるつもりはありません」と回答した。

つまり、「災害に使うのは不適切」との見解は、一般人や公的な場所での用語法について述べたものではなく、メディアが自ら使用する際に、一部読者に配慮するための注意事項を述べたにすぎないということのようだ。たしかに、メディアは独自に用語に関するルールを作り、時代にあわせて変えている。「震災●周年」を使わないという方針も、「毎日新聞用語集」(非売品)に載っているという。

もしメディアが自らに課したルールにすぎないというなら、誤解を招かないように表現すべきではなかったか。「災害に使うのは不適切」との見解を示したコラムは、紙面化されていないとはいえ、一般読者向けのニュースサイトに掲載され、同紙校閲部のツイッターアカウントでも発信されていた(上記引用参照)。このツイッターでは【新聞の統一用語】と明示した情報発信もみられるが、大半が、一般人に通用する言葉に関する知識を発信していたのである。

「一般読者も同じ見解」?

だが、私には上記回答をもってしても、一抹の危うさを感じずにはおれない。同社から届いた回答には、こうも書かれていたからだ。

当該ツイートに『それくらいは一般人は知ってるよね』というものがありました。周年の使い方に関し、一般読者も同じ見解という一例だと理解しております。したがいまして見解を修正するつもりはありません。

これには唖然としてしまった。たしかに、同紙校閲部の見解に対し「それくらいは一般人は知ってるよね」と反応したツイートはあった。しかし、この見解に反応したのは確認できた限り6人で、うち4人が明確に否定的な反応(もう1人は「まあ一般的に記念で使う方が多いでしょうね」と返信し、賛否どちらかは明確でない)。たった1人の肯定的反応を例に「一般読者も同じ見解」というのは、不当な一般化以外のなにものでもない。

メディア独自の自己規制ルールだったはずが、「一般読者も同じ見解」という認識に転化してしまっているとしたら危うい。「見解を修正するつもりはない」という回答には、一般読者もメディアの考える適切な用語法に同意して当然だという意識が垣間見えてしまうのだ。

毎日新聞・校閲グループの2014年3月11日付ツイートとそれに対する返信ツイート

@mainichi_kotoba 追悼式で司会の菅氏が三周年と言っていました

@mainichi_kotoba @clearbluerain8 それくらいは一般人でも知ってるよね。

@mainichi_kotoba 「周年」という言葉は、なんらめでたい意味を持たない言葉でしょう。表現者が自ら表現の幅を狭めるのは信じられません。

@mainichi_kotoba 言葉の使用頻度には差があります。 言葉がその意味で用いられる度合が低いことを理由に「〜に使うのは不適切」と評することは、少数用例の否定であり、不適切に見えます。

@mainichi_kotoba @AngelTouchPlus まあ一般的に記念で使う方が多いでしょうね。

@harapeko_mie @mainichi_kotoba 追悼式の名称が「東日本大震災三周年追悼式」ですから…

(*) 以上6人の返信ツイートは、いずれも3月11日に出されていたもの。

用語法としての正確さに問題はないのにある種の配慮から「不適切」との見解を広めることは、刺激的な表現にはなるが「言葉狩り」と本質的に同じことではないか。社会に定着した、普遍的に通用する正義感情からみて格別の配慮が必要な場合ならともかく、事実上の使用頻度による語感から不快に感じる人がいるというだけでは、用語法を規制するほどのこととは思えない。目くじらを立てる人がいるから大衆向けメディアとして自己規制したいのであれば、内部で勝手にすればよいことで、社会に広めるべきことではないのである。

最後に、「周年」を用いる積極的な意義もないわけではないと思うことがあるので、全くの私見になるが述べておきたい。災害のような場面で「周年」という表現が使われなくなるだけなら、他の表現に置き換わるだけで弊害はさほどないだろうとしても、だ。

よいことが長続きすること、年を積み重ねること自体に喜びや幸せの自然な感情が芽生え、「周年」として記念することの意義は、もちろん否定しない。他方で、たとえ「めでたくない過去」であっても風化させず、区切りの年に当時のことを思いをはせることの意義も、それに劣らず重要だと多くの人が認めると思う(私自身は、節目の年に過去を想起して心に刻み込む営為の方が、単純に月日の積み重ねを祝うことより尊いことだと考える人間である)。現にそうした機会を「周年」と称して厳粛に記念してきた多くの例がある。記憶を心に刻み、語りあうメモリアルの場においては、「●周年」というややかしこまった表現の方がむしろふさわしいと思える。少々の違和感くらいで、安易に「不適切」と言いたくない。

※この記事は執筆者個人の見解であり、日本報道検証機構その他団体を代表するものではありません。

楊井 人文(やない ひとふみ)
日本報道検証機構代表理事。産経新聞記者を経て、弁護士。